病院で「あなたは〇〇神経痛です」「ストレートネックです」と診断された途端、中々治りにくくなる現象を、臨床の現場で経験してきました。
これまでの連載で、「完璧な健康も、完璧な治療法も存在しない」という事実をお伝えしました。それにもかかわらず、なぜ私たちは「病名」という明確な答えを求め、その言葉に縛られて苦しみ続けるのでしょうか。
今回は、人間の「言葉(病名)」がどのようにして実際の「物理的な痛み」を作り出しているのか。その恐るべきメカニズムを、仏教の「我執(がしゅう)」という概念と、最先端の数理モデルが証明した『エントロピー交換法則』から解き明かします。
苫米地定理が証明する「言葉と痛みの等価交換」(数理モデルの視点)
認知科学者・苫米地英人博士の『エントロピー交換自我構成定理(定理30)』は、人間が心の中で言葉を使ったとき、物理空間(身体)に何が起きるのかを、熱力学と情報理論の連立方程式で証明しました。
定理30の証明(式 30.9 と 30.10)では、以下の事実が厳密に定義されています。
① 認知エントロピーの減少(式 30.9: $\Delta \mathcal{H}_{ego} \le 0$)
特定の言葉(内省言語)を用いて自我を構成した区間において、心の不確実性(認知側のエントロピー)は減少する。
② 物理エントロピーの増大(式 30.10: $\Delta S_{phys} \ge 0$)
理想可逆交換において、認知側で減らした不確実性の量と等しい分だけ、物理側のエントロピー(乱雑さ・摩擦)は増大しなければならない。
少なくとも一層で相互情報量が正なら $\Delta S_{phys}>0$。$\Pi=0$ の理想可逆交換では、認知側の重み付き秩序化量と物理側増大量が等しい。
引用元:苫米地英人『苫米地認知宇宙論〜仏法数理厳密証明(厳密定式化版)』
この数式の事実を、私たちの身体と治癒のメカニズムに分かりやすく翻訳すると、次のようになります。
【KUMADEの臨床的翻訳】
人間が「病名」などの言葉を使って「自分はこういう人間だ」と自己像(自我)を確定させた瞬間、原因がわからないという心のモヤモヤ(認知の不確実性)は減ってスッキリします。しかしその代償として、心で減らしたモヤモヤの分だけ、実際の身体(物理空間)には必ず過剰な摩擦やエラー(=痛み)が発生するように設計されている、ということです。
仏教的な視点から:「我執(がしゅう)」と「苦(ドゥッカ)」の正体
仏教において、苦しみの根本原因は「我執(がしゅう=自分という存在への強い執着)」であると説かれます。
本来、「私」という固定された実体など存在しない(諸法無我)はずなのに、人間は言葉によって「私」を規定し、それに執着します。仏教では、この不自然な自我の固定化が、宇宙の自然な変化(諸行無常)に対する強烈な「抵抗」を生み、それが「苦(摩擦)」になると教えています。
定理30は、まさにこの2500年前の仏教の真理を裏付けたものです。「言葉による自我への執着(認知エントロピーの減少)」が、「物理的な摩擦(苦しみ・エントロピーの増大)」へとそっくりそのまま変換される。我執がある限り、身体の痛みという「苦」が消えることは絶対にないのです。
当院の臨床的な視点:「病名」という余計な言葉が、治らない身体を作る
誤解していただきたくないのは、「腰が痛い」「ここが動かない」という患者様ご自身の素直な感覚(自覚)自体は、治癒のエンジンとして絶対に必要だということです。
問題なのは、そこに「私は脊柱管狭窄症だ」「ヘルニアだ」という【余計な言葉(病名)】が結びつき、固定された自我になってしまうことです。
そもそも医学的には、画像診断で明確な原因がわかる腰痛は1割程度に過ぎず、ほとんどが原因不明(非特異的腰痛)だとされています。しかし、現代医療ではマニュアル(定説)通りに進めるために、医師が無理に診断名をつけることが多々あります。これが、定理30で言うところの「患者の認知エントロピー(原因がわからない不安)を無理やり下げる行為」です。
患者様は、「私は狭窄症だから痛いんだ」と受け入れ、脳は納得してスッキリします。しかし、狭窄症などの構造変化はあくまで何らかの負荷が積み重なった「結果」であり、「原因」ではありません。 脳が「私は狭窄症だ」という言葉(自己像)を強く認識・固定してしまうと、身体のホメオスタシスはその「病気の私」を証明し維持するために、無意識に筋肉を緊張させ、血流を下げ、自ら物理的なエラー(痛み)を作り出し始めます。
当院では、こう定義しています。 【「自己像(情報)」を固定するためのエネルギーのツケを、「身体(物理)」が払わされている状態です。】
気功や他の手技とは違う、当院のアプローチ
「狭窄症の腰痛を治してください」と来院された患者様に対して、当院ではその診断や痛みを否定することはありません。しかし、定理24(一切皆苦)の通り、痛みをすぐにゼロにすることは物理的に不可能です。
一部の気功や鍼灸などでは、この痛みの原因を「気の滞り」など別の概念に塗り替え、脳に別の思い込みを作らせる手法が用いられることがあります。しかし、それは当院が目指す「自覚」による自然治癒(二人三脚)とは異なります。別の思い込み(自我)で上書きしても、根本的なエラーは消えないからです。
当院が行うのは、思い込みの塗り替えではありません。 問診と触診を通じて一緒に身体を動かし、「さっきよりこの動作が楽になっている」という【事実】を、一つずつ確実に脳へ再認識させていく作業です。 「病気の私」という言葉の呪縛(我執)を体感によって解きほぐし、状態を少しずつ引き上げていく。これこそが、自己治癒力を正しく起動させる唯一の道なのです。
結論:最大の絶望への入り口
定理30によって、「身体が痛いのは、患者自身が言葉で『痛い私(自我)』を固定化している代償である」ことが証明されました。
これを聞いて、あなたはこう思うかもしれません。
「なんだ、じゃあ自分の心の中で『私は健康だ!』『痛くない!』とポジティブな言葉を言い聞かせれば、自己像が書き換わって治るじゃないか」
一般的な自己啓発やポジティブシンキングは、これを推奨します。
しかし、仏教の真理と最先端の数理モデルは、それを【不可能(絶対的な罠)】だと切り捨てます。
自分の言葉(内省言語)で、自分自身の自我を治癒へ向けて書き換えようとしても、数学的に絶対に今の状態(コンフォートゾーン)から抜け出せない。これが、次に立ちはだかる「六道輪廻(ろくどうりんね)の罠」です。